2012年 05月 08日
5月8日 2才の時 |
この5月で俺も65歳になるんだよ!
思えばずいぶん波乱の多い人生を歩んできたよ。
2歳になる1か月前に母を亡くしたんだ。
母親は昭和22年の戦後の混乱期で、ろくに薬も手に入らない時代に、当時死の病といわれていた結核にかかってしまったんだ。
医者からは「子どもを産むと死ぬかもしれない」と言われたなかで、俺を産んでくれたんだよ!
生まれてすぐ病気が移るといけないということで俺は四国の父方のおばあさんに引き取られ、母のいる広島をあとにしたんだ。
母親の病気が進んで、いよいよ危ないとなった時死ぬ前に一目わが子に合わせてやりたいと、父親の姉さんにおんぶされ、戦後のひどい交通事情のなか四国の徳島から広島へ、母親に会いに連れて行ってもらったんだ。
生まれてすぐ離れ離れになり、やっと会えた時が自分の死期が迫ったときだった。
どんな思いで抱き上げたんだろうか!
今思っても切なかったと思うよ!
そして、自分の命と引き換えに俺をこの世に送り出してくれたんだよ。
きっと「人の為になる人になりなさい」ということだと思うよ。
阪神大震災の後、災害で水に困っている人を見て、「井戸屋」という会社を興したのもそんな運命的なものを感じるよ!
思えばずいぶん波乱の多い人生を歩んできたよ。
2歳になる1か月前に母を亡くしたんだ。
母親は昭和22年の戦後の混乱期で、ろくに薬も手に入らない時代に、当時死の病といわれていた結核にかかってしまったんだ。
医者からは「子どもを産むと死ぬかもしれない」と言われたなかで、俺を産んでくれたんだよ!
生まれてすぐ病気が移るといけないということで俺は四国の父方のおばあさんに引き取られ、母のいる広島をあとにしたんだ。
母親の病気が進んで、いよいよ危ないとなった時死ぬ前に一目わが子に合わせてやりたいと、父親の姉さんにおんぶされ、戦後のひどい交通事情のなか四国の徳島から広島へ、母親に会いに連れて行ってもらったんだ。
生まれてすぐ離れ離れになり、やっと会えた時が自分の死期が迫ったときだった。
どんな思いで抱き上げたんだろうか!
今思っても切なかったと思うよ!
そして、自分の命と引き換えに俺をこの世に送り出してくれたんだよ。
きっと「人の為になる人になりなさい」ということだと思うよ。
阪神大震災の後、災害で水に困っている人を見て、「井戸屋」という会社を興したのもそんな運命的なものを感じるよ!
by idoya_shogoro
| 2012-05-08 17:27
| 井戸屋 正五郎